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 燃え上がる炎に紙束を投げ込む。
 赤い炎が揺らめき、勢いを増した。
「これで最後かな」
 物を大事にする主義のラズロは、そもそも不要になる物が少ないらしく、数枚の覚書を火にくべた程度である。
 集めてきた枯れ枝を投げ込み、ラズロは頷いた。
「意外と、少ないな」
 ティルは苦く笑った。少し滞在すれば出立するつもりだったのだ。城の居心地のよさにずるずる長居してしまった。城主、リオウの気質が、温かみとなって城全体から発せられているような。
 だがそれも潮時だ。今頃同盟軍はルルノイエに攻め込んでいるだろう。ほぼ総力戦、城に残っているのは僅かな兵士と非戦闘要員のみ。気心の知れた知り合いはほぼ従軍していった。
 顔を見れば、発ちにくくなる。
 ひっそりと旅立ちの準備をしていたティルに声をかけてきたのはラズロだった。彼ももう発つのだと言う。長居をしすぎてしまったと、微かに笑うラズロに同じ影を見た。

「ファルには何も言わないのか?」
 焚き火に手をかざしながら、ラズロが低く呟いた。
「言わない」
「追いかけてくるんじゃないか」
 そう言ったラズロはほのかに笑みを浮かべているようだった。微笑ましい、とでも言いたげな。
 ティルはため息をついた。話題の当人は昨日から外出中である。それ幸いと出立を急いでいるのを知っている癖に、ラズロは時折意地が悪いと思う。
「そうもいかないだろ。あれでいてファレナの要人なんだし」
 同盟軍、そしてトラン共和国との仲を深めるという目的で滞在していた今までならともかく、行方の知らない人一人を追って国を出るなど許されることではない。
 何より流れる血が、その矜持が、ファレナを投げ出すことを自身に許さないだろう。
 だからティルは背を向ける。
「怒るだろうな」
 ぽつ、と独り言のように呟くラズロは分かっているのだろう。
「知るか」
 ティルは呻いた。
 右手が熱い。既に紋章の意思は猶予のならないところまで来ていた。
 ゆっくりと老いて、いずれ逝く仲間たちと同じ場所には行けない。
 ならばせめて目を逸らすことは卑怯な逃げだろうか。会わなくなって音信が途切れて、だがこの空の下にいるかもしれないと思っているのは欺瞞だろうか。
 決定的な断絶の前に、境界線を曖昧にしたまま背を向けたいと思うのは。
「ファルなら、最期まで一緒にいたいと望むだろう」
 抑揚のない声が胸に冷たく凍みてゆく。
 ラズロはだがティルに道を示さない。だからこそ連れに選んだ。ティルの胸は決まっている。
「僕は看取るなんて御免だ、もう、二度と」
「そうか」
 ラズロはふと微笑んだようであった。


 やがて衰え始めた火勢に、ティルは刻限が近いのを知る。
 息を吐いて、最後まで持っていた花を投げ込んだ。
 いつの日だったか、ファルーシュが持ってきて、部屋の片隅に生けていった花だった。元は白く瑞々しかった花、名前も知らないが。
 今や萎れ干からびた花びらは、弱弱しい火に舐め尽くされ灰になってゆく。
 ふとティルは思った。ファレナでは死んだら火で焼いて、灰を大河に流すのだ。煙は空へ、灰は河へ。還ってゆくのだという。
 ティルの感覚からすれば残酷な話である。火炎槍に灼かれてのた打ち回りながら死んでいった兵士たちはいつになっても忘れられない。火の熱さに怯え、痛みに喚き、苦しみながら死んでいった顔が脳裏によぎる。死んでからもなお、火に炙られねばならないなど、どんな苦痛だろう。
 冷たい土に眠らせてやればいいのにと思うのは、土葬が根付いたこの地に生まれ育ったからだろう。
「ティル」
 ラズロの深い、青の目がぱち、ぱちと瞬いて、ティルを見据えた。
「川に流すか?」
 灰を、とラズロの薄い唇が紡ぐのを、ぼんやりとティルは見ていた。
 深遠の青はまだ見ぬ海に似ていた。
 ゆるり、口元が釣り上がるのが分かる。きっと今自分は苦笑を浮かべているのだろうとどこか遠い思考で思った。
「土に埋めていくよ」
「そうか」
 ラズロが目を閉じる。沈黙が落ちた。

 花を飲み込んだ炎が静かに消えてゆく。残滓のごとく、細い煙が空へ立ち昇ってゆく。
 空へ還るのだろうかと、思ってティルは肩を竦めた。
 感傷なのだ、きっと。
「行こう、ラズロ」
 煙が溶けて消えた空は青く、高く。遠かった。


火葬


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